小松教会の歴史

小松教会史年表

教会史年表作成にあたって

1.教会の歴史を見つめるとは

小松教会の年表を編纂するにあたり、教会の歴史を見つめる意義について少しく考えたいと思います。
それは、私たちが教会の歴史を顧みる場合、そこに信仰に伴う独自の困難が予想されるからです。
一般に、企業体にせよ学校にせよ、ある社会集団が創立〇周年という名で歴史を顧みる場合、
何を目的としているのでしょうか。
多くの場合その社会集団が行なってきた事業の達成点を確認し合うことによって、
人間の業をあらためて信頼し誇るということではないでしょうか。
それなら私たちも、それと同じ立場に立って教会の歴史を見つめるということなのでしょうか。
そうではないばずです。
ここに教会の歴史を顧みる場合の「信仰に伴う独自の困難」があると言わねばなりません。

それなら私たちはどういう立場から教会の歴史を顧みるのでしょうか。
その答えは私たちの小松教会が何よりもキリストの教会であるという事実に求められます。
小松教会の歴史を辿るという場合に、
私たちは自分たちの地域社会において力をもって働かれた神のみ業に注目するのであって、
そのことを共々に見つめようとしているのです。
つまり神に対する信仰と不信仰とにゆれる弱い人間の只中に、
不撓不屈の救いの意志をもって働かれた神に対して感謝と賛美を捧げるのです。
ここに私たちが教会の歴史を顧みる立場があります。

ところで神のみ業は観念的なものでも抽象的なものでもありません。
神はみ霊とみ言葉によって、語る者と聞く者の両方を呼び出し創り出しつつ、み業を遂行されます。
つまり礼拝共同体の形成です。
ですから私たちはこの地域社会に礼拝共同体がどのように成立してきたのか、
その歩みを見つめるのです。
第二に私たちは神のみ業を直接知り得ません。
つまり感性にせよ悟性にせよ私たち人間の生得的な認識能力によって
神のみ業を把握できないのです。
「自然の人は神の霊に属する事柄を理解できない」からです(Ⅰコリント2:14)。
私たちは信仰によって神のみ業を知るのです。
つまり神がみ霊とみ言葉によって私たちに信仰を与えて初めて、
神のみ業を知り、またそれにあずかるようにされるのです。信仰とは服従だからです。
ですから私たちが教会の歴史を顧みる場合、
信仰がどのように継承されてきたのか、その道筋を辿ることが大切です。
つまり教派的伝統の確認です。教派的伝統とは信仰が継承されてきた道筋のことであり、
いわば教会の個性のことなのです。
以上をまとめると礼拝共同体がこの地域にどのように形成されてきたのか、
またそれはどのような信仰を受け継いで今日に至ったのか、
この点を私たち見つめて神に感謝と賛美を捧げるのです。
こうした作業をすることによって、
私たちは今後どのような教会形成の歩みをしていくべきなのか展望を与えられると考えます。

2.時代区分について

以上から小松教会の歴史を顧みる視点が明らかになったと思います。
私たちはあくまで小松教会を中心に据えて歴史を辿ります。
ですから同時代の国家やキリスト教界の動向、また小松町の動向は、
小松教会の事情に光を投げ掛ける限り見つめられます。
また時代区分も小松教会が礼拝共同体として形成されていく過程にしたがってなされます。
ですから明治・大正・昭和など年号による時代区分、
戦前と戦後による時代区分、あるいは牧師の在任期間による時代区分もしません。
ただし日本基督一致教会および日本基督教会と、
日本基督教団との区分は特に考慮しなければなりません。
前者は「教派教会」であり、後者は「合同教会」です。
ですから信仰がどのように継承されているのかという点で、
今日「合同教会」である日本基督教団にある私たちにとって課題を提供しているからです。
やや形式的ですが、以下のように時代区分をしておきます。

小松教会の歴史の起点は、
やはりトマス・C・ウィン宣教師による「南加賀」伝道に求めなければならないと考えます。
この伝道は日本基督一致教会西部中会の伝道の一環として位置付けられます。
こうした点を考慮すると1877(明治10)年の「一致教会」の成立から
「Ⅱ講義所の時代」とすることが適当であると思われます。
また「一致教会」は日本基督公会から生み出されているため、それを「Ⅰ前史」として加えておきます。
「Ⅲ伝道所の時代」は、1920(大正9)年の「小松伝道所」の設立によって、
また「Ⅳ伝道教会と『二種教会』の時代」は1933年の伝道教会設立申請決議によって、
「Ⅴ『一種教会』の時代」は、1983年の一種教会設立決議によって、それぞれ区分されます。

3.注意事項

未蒐集の資料や調査中の資料も多数あります。ですからこの年表は中間発表として受けとめてください。
下記の年表におけるマークは教会合同に特に関係する事件です。
マークは石川県と小松地方に関係のある事件です。
また、教会の種類に関しては、講義所と伝道所・伝道教会・教会は今日の伝道所・二種教会・一種教会にほぼ該当します。

Ⅰ.前史(1853年~1875年)

西暦 和暦 キリスト教会 その他一般の出来事
1853 嘉永6 ▼ペリー浦賀に来航。翌年開国する。
1858 安政5 ▼日米修交通商条約が締結。
この条約で、日本は外国人居留地における信仰行為の自由、
礼拝所建設の自由及び保護を保障した。
1859 安政6 米国監督教会ウィリアムス、リギンス、
米国オランダ改革教会フルベッキ、
ブラウン、シモンズ、米国長老ヘボンら来日。
キリスト教の宣教師・牧師として公に来日したのは、
これが最初である。
1869 明治2 ▼浦上キリシタン発覚。翌年金沢に516名、
大聖寺に50名流罪者到着。また神仏分離推進。
1872 明治5 ◆2月万国福音同盟会による初週祈祷会が行なわれる。
◆3月10日 横浜基督公会が建設される。
日本最初のプロテスタント教会で、
仮牧師バラ(オランダ改革派教会)信徒10名。
◆9月第一回宣教師協議会開催。於ヘボン宅。
「公会主義」による教会形成を構想。
1874年までに「公会規則」、「公会規定」、
及び「公会条例」を定め、
ここに立つ教会を日本基督公会と称した。
▼1月29日初の全国戸籍調査実施。
総人口33,110,825人。
☆2月2日県庁を石川郡本吉(美川)に移転、
金沢県を石川県に改称。翌年県庁、金沢に再び移転。
☆旧小松城、解体。懲役場となる(明治36年廃止)。
☆7月1日小松郵便局、京町99番地に開局。
☆小松警察出張所、西町の民家に設置。
▼11月28日徴兵令布告。
☆12月石川県、太陽暦採用。
日曜休日、一日24時間となる。
1873 明治6 ◆2月24日キリシタン禁制の高札、撤去。
◆米国北バプテスト教会、米国メソジスト監督教会、
カナダ・メソジスト教会などの宣教師、
相次いで来日。日本基督公会とは別に伝道する。
◆12月日本長老教会、組織。
☆学制施行、河南小学校(現芦城小学校)、
稚松小学校など22校が設立。
1875 明治8 ◆4月「公会主義」の挫折。

Ⅱ.講義所の時代(1877年~1928年)

西暦 和暦 キリスト教会 その他一般の出来事
1877 明治10 ◆10月3日日本基督一致教会設立される。
於横浜海岸教会「一致教会」は、
日本基督公会(米国オランダ改革派教会系)、
日本長老教会(米国長老教会系)、
スコットランド一致長老教会の合同によって成立。
信仰告白としてハイデルベルク信仰問答、
ウエストミンスター信仰告白、ドルト信仰基準を採択。
長老制度による教会形成。
◆12月26日 トマス・C・ウィン宣教師(米国北長老教会)、
横浜に到着。
▼2月西南戦争勃発(~9月)
☆2月小松区裁判所、小馬出町に設置。
1878 明治11 ◎7月第一回全国基督信徒大親睦会開催。 ☆能美郡役場、小松町小馬出町に設置。
当時の小松町の人口10,641人、戸数2,154戸。
1879 明治12 ◆10月4日トマス・C・ウィン宣教師、
石川中学師範学校教師として金沢に到着。
◆11月3日委員会訳新約聖書の翻訳完成。
☆7月県下でコレラ大流行。
死者2万人余。祭礼禁止、学校休業。
▼6月4日東京招魂社、靖国神社となる。
1880 明治13 ◆9月金沢教会、教会設立申請を「一致教会」に提出。 ☆5月13日能美郡博覧会、小松町で開催。
「殖産興業」の奨励。
☆11月尾小屋鉱山の経営開始。(昭和46年閉山)
1881 明治14 ◆5月1日日本基督一致教会金沢教会設立式開催。
信徒13名。北陸における最初のプロテスタント教会。
「一致教会」西部中会に所属。
なお当時北部中会・東部中会・西部中会があった。
◆8月トマス・C・ウィン宣教師、林清吉、
神学生青木仲英らと北陸大伝道を行なう。
富山、高岡、七尾、石動、及び松任、
小松、大聖寺などで集会を行なった。
☆小松町最初の銀行「済海社」が京町に設立される。
資本金5万円。
1883 明治16 ◆6月ウィン、愛真学校(北陸英和学校)設立
(長尾巻はここで学んでいる)。
☆9月小馬出町に電信局設置、電信事務開始。
☆フランス式製バッタン製織機、小松町へ移入。
1884 明治17 ◆8月忽曲輪講義所(現、富山鹿島町教会)開設。
長尾巻氏主任伝道者として着任。
☆9月15日税務署、小馬出町に設置。
1885 明治18 ◆4月金沢教会、青木仲英氏を初代牧師として招聘長老3名、
信徒76名で独立自給教会。
◎5月日本福音同盟会発足。
(第四回全国基督信徒大親睦会において)
◆6月小松において七人が受洗する。
「私には受洗者がいくらかおりますので、報告します。
最近の小松訪問において私は七人の成人に洗礼を施し、
青木さん(牧師)は富山で四人に同じ聖礼典を執行しました」
(トマス・C・ウィンの手紙6月14日付けより)
◆8月、10月青木仲英、林清吉、小松・松任で伝道する。
「この月の一五日、一六日には小松及び松任にて伝道集会を開いた。
小松では集会に集う者 が八百名をこえていた。
次いで一〇月三〇日には再び小松の劇場にて伝道集会。
林、青木両師が説教。聴衆は約七〇〇名集まり盛んなことであった。
31日にも同所において昼夜二回開催し、昼の部は三〇〇、
夜はほとんど千名近い聴衆を得て、
その結果、小松講義所を開くことと なり、
毎月十二会出張伝道を行なうこととなった」
(金沢教会百年史より)

◆9月9日金沢女学校(現北陸学院)創立。
◆11月小松講義所が設けられる。所在地不明。
◆11月24日日本基督一致教会第3回大会開催この大会において、
以下の五中会となった。宮城中会(東北中会)、東京第一中会、
東京第二中会、浪華中会、鎭西中会。
北陸地方は浪華中会の伝道・牧会範囲。
◆12月17日第一回浪華中会開催。
於大阪中ノ島仮教会。高知教会、大阪教会、
名古屋教会、金沢教会の四教会で組織。
☆「羽二重共同工場」、殿町に設立。
▼12月22日太政官制度廃止、内閣制度制定。
1886 明治19 「越中富山加州小松高知地方大和御所
尾張津島其他若州小濱伊予大州ノ
伝道緩急得失等ノコト」(第三回浪華中会記録より)

◆10月8日第三回浪華中会開催。
於金沢教会。教会設立の基準、次のように確認。
「会吏たるべき人物のあること、一切自給のこと、
たとえ他より一切の補助を立っても
主に在りて団結するの赤心あること」
◆10月19日金沢殿町講義所開設。
長尾巻ら信徒13名金沢教会より分離。
▼4月10日学校令公布。
☆6月県下コレラ流行。10月までに死者3,522人。
☆「機業改良会社」、小馬出町に創設。
家内工業から工場制工業への移行の先駆。
1887 明治20 「加州小松在勤試補者
中島留吉氏報道約言スレバ進ナリ」
(第四回浪華中会記録より)

◆4月2日第四回浪華中会開催。
於尾張名古屋関鍛冶町仮会堂。
◆委員会訳旧約聖書の翻訳完成。
☆4月18日第四高等中学校創立
(後の「旧制四高」、高倉徳太郎、
逢坂元吉郎が学んでいる)。
☆小松町京町で英語講習会を開始。
1888 明治21 「富山地方ハ較見ルベキ者アルモ
大聖寺小松ハ実ニ不振ナリ」
(第六回浪華中会記録より、青木牧師が加越地方の状況を報告)

◆4月12日第六回浪華中会開催。於大阪一致教会仮会堂
◆5月16日青木仲英牧師、転任。
▼市町村制公布、翌年施行。
能美郡は2町(小松町、安宅町)42村に分合。
1889 明治22 ▼2月11日大日本帝国憲法発布。
信教の自由は天皇の下賜。
1890 明治23 ◆長尾巻伝道者、小松伝道に着手。
信徒5名。所在地現小松市小馬出町。
「小松の人口約一万二千、
風俗余り宜しからず、
人民は不活発なる方なりとか」(福音週報)

◆4月植村正久、「福音週報」創刊。
◆12月3日日本基督教会設立。
「一致教会」を日本基督教会に改称。
憲法規則大改正。「信仰の告白」を制定、
これは日本における最初の信仰告白。
教会数62、信者総数10,481、
献金高31,295円2銭8厘。
▼10月30日「教育ニ関スル勅語」公布。
▼11月25日第一回帝国会議開催。
1891 明治24 ◆大聖寺講義所、15名にて設立される。
「なお大聖寺に田島氏、小松に長尾氏、
高岡に岡田氏各々講義所を開きて
伝道に従事せらる」(福音新報12月25日号より)

◆1月9日内村鑑三不敬事件起こる。
◆4月21日第12回浪花中会開催。於大阪北教会。
富山・大聖寺の信者、
金沢教会から分離の件可決される。
富山19名、大聖寺15名が分離。
◆3月植村正久「福音新報」創刊。
☆1月15日豪雪、最深積雪386㎝。
▼6月文部省訓令第四号、
後真影教育勅語など祝儀式規程を定める。
※小松絹で知られる絹の手織り工場は、
この年14工場。その後明治28年43工場、
明治32年138工場と伸びている。
1892 明治25 ◆5月大聖寺講義所、山田賢三伝道者が、
私財を投じて会堂建築を行なう。
しかし妨害され頓挫する。
「加賀大聖寺講義所、
当地に於いては会堂を新築せんとするや、
仏教徒たる一般人民は強圧と暴挙を逞しくし、
残念なるも一時中止の不幸を見るに至れり」(福音新報)

◆6月日本基督教会高岡伝道館(現 高岡教会)創設。
◆8月12日田村直臣著「日本の花嫁」刊。
田村はこの著書で日本の家族制度の欠陥を海外に紹介。
これが後に問題となった。
▼11月5日井上哲次郎「宗教と教育に就いて」で、
キリスト教を攻撃。
1894 明治27 ◆10月10日谷口直吉伝道師、福井講義所に着任。
◆7月3~4日第9回日本基督教会大会開催。
この大会において、大会伝道局が設置される。
また田村直臣の教職が剥奪される(’26年復帰)。
▼7月25日日清戦争開戦。
1896 明治29 ◆長尾巻伝道者、
大聖寺に転任し伝道を開始する。
(1901年に金沢殿町教会へ転任する)

◆6月日本基督教会、台湾伝道開始。
☆1月22日小松商工会、発足。
「殖産興業」政策奨励。
☆8月2日豪雨による手取川大氾濫、
小松町全町床上浸水。
1897 明治30 ◆1月日本学生基督教青年会同盟成立。 ☆9月20日北陸線、福井-小松間開通。
小松駅開設。
1899 明治32 ◆ダンロップ宣教師、大聖寺、山城(山代?)、
小松等にて伝道する。(福音新報6月9日)
「ダンロップは、・・・大聖寺、山城、
小松等にて演説及び幻燈を試みしに、
是又何れも盛んなりし由。小松には農学校、
中学校あれば望み多し」

北陸英和学校廃校。
◆8月私立学校・学院令(文部省訓令12号)公認の
学校での宗教教育禁止。
☆4月県立小松第四中学校開校。
※当時の汽車運賃と物価。
小松-金沢間80銭。(’98年開通)
・米一升11~13銭。・卵一個1銭7厘。
・石けん一個5銭~1円50銭。
・日雇い賃金 30~60銭(男),12銭(女)。
1901 明治34 ◎日本基督同盟会主催、
二十世紀大挙伝道実施。
◆9月植村-海老名キリスト論論争。
1903 明治36 「さらば基督教の如きは
金沢こそ多少の勢ひあれ越中にせよ、
越前にせよ、長き間微々として振るはず、
人民の忌厭の中に
辛うじて命脈を保つ所もあれば、
保ち得ずして伝道を引き上げしも
数年来すでに数個所に及べり、武生の如き、
小松の如き丸岡の如き其れなり。」
(福音新報9月10日)
▼4月文部省、国定教科書制度公布。
☆小松-寺井間、乗合馬車開通。
1904 明治37 ◆2月11日日本基督教会、朝鮮伝道開始。
◆11月植村正久、東京神学社創設。
▼2月10日ロシアに宣戦布告、
日露戦争開戦。
1906 明治39 ◆11月日曜学校協会設立。 ☆日露戦争戦勝記念に、
芦城公園造成。
1907 明治40
◆10月谷口直吉伝道師、
小松講義所に赴任する。

◆第一回全国日曜学校大会開催。
☆2月15日遊泉寺鉱山抗夫スト。
1908 明治41 「当地は伝道開始以来、
ほとんど二十四年を経す。
その間には多少の信徒もありしならんが、
目下一人もなし。
聖書研究者は毎日曜日に集まり、
その数二十名内外あれども皆中学生なり。
今や公に福音を伝え得る好位置に
講義所開かれたれば、
今後はそのやり方によりて
好結果を収むる事を得べし」
(福音新報4月30日号谷口報)

◆4月23日福井講義所、
福井伝道教会(福井宝永教会)建設。
☆2月小松で電話開通。
加入台数126台
☆12月小松電気株式会社設立。
小松町に電力の供給が始まったのは
2年後の明治43年。当時600余の電灯がつく。
1909 明治42 ◆10月日本基督教会、
第23回大会でミッションを協力ミッションと
申合ミッションに分類。
◆12月賀川豊彦、神戸でスラム伝道開始。
1910 明治43 ◆10月12日日本基督教会、第24回大会において、
会堂建築局規定改正。
▼10月日韓併合が行なわれ、朝鮮総督府設置。
1911 明治44 ◆10月10日金沢殿町伝道教会建設。
◎12月日本基督教会同盟発足。
1912 大正元 ◆11月8日小松講義所、会堂建築着手。
12月15日完成。所在地能美郡小松町字京町。
なおこの時の建築委員は杉岡純司伝道師。

◆6月日本基督教会、満州中会建設。
▼2月25日内務省主催、神・仏・基による三教合同。
☆9月23日台風により県下大被害。
死傷者9名、家屋全半壊47戸
1916 大正5 ◆金沢伝道会による大聖寺伝道、
河合牧師を講師として月二回行なわれる。
◆5月杉岡純司伝道師、小立野伝道教会へ転任。
「小立野伝道教会には今月より
小松町の伝道者杉岡純司氏が
転任せらるる筈であるときいた。小松町は周囲の反対多く、
三四年来信者も出来ず、殆ど集会さえも出来ぬそうだ」
(福音新報5月18日号貴山報)

◎4月30日金沢市内各派教会連合による協同伝道実施。
☆2月温泉電軌、北陸線粟津駅-粟津温泉間開通。
これにより山代・山中・粟津温泉の全線開通。
☆遊泉寺銅山、鉱毒問題起こる。
☆6月1日小松鉄工所(現、小松製作所)創業。
※大正3年、能美・小松の機業家は1,684名に達し、
全県下3,328名の50%を占めたといわれる。
1918 大正7 ◆小松講義所、毎週月曜日に聖書研究会、
木曜日に礼拝を守る。説教者塩月常世牧師。
「名簿」には男12名女8名計22名(ママ)の名前あり。
「大正七年六月六日は、木曜日とて、
基督教小松教会月並説教日なり」
(「教会史覚書一」より)
これは当教会における最古の礼拝記録。

基督教礼拝説教 聖書研究会
日付 人数 日付 人数
5月30日 63名(男:50 女:13) 5月27日 6名
6月6日 不 明 6月2日 8名余
6月13日 26名(男:21 女:5) 6月10日 9名余
6月20日 不 明 6月17日 8名余
6月27日 不 明
☆1月大雪、最深積雪143㎝。
死傷者41名、全半壊99戸。
☆8月富山県に米騒動が起こり、
全国へ波及。
☆10~11月スペイン風邪、大流行。

Ⅲ 伝道所の時代

西暦 和暦 キリスト教会 その他一般の出来事
1920 大正9 ◆5月20日小松伝道所設立。
塩月常世牧師、同伝道所を兼牧。
☆4月4日尾小屋鉱山スト。
(昭和6年まで波状的に繰り返す)
☆前年尾小屋鉄道開通。
☆遊泉寺銅山閉山。
1921 大正10 ◆2月10日金沢教会、金沢殿町教会、小立野伝道所、
小松伝道所、合同親睦会を行なう。於北陸女学校
☆小松の自動車の台数は12台
(小松3、安宅2、粟津7)。
1924 大正13 ◆塩月常世牧師、小松伝道所へ転任する。
◆4月3日「浪華中会」、中会伝道部設置。
◎11月日本基督教連盟成立。
1927 昭和2 ◆7月11~12日浪花中会北陸伝道準備修養会が行なわれる。
於金沢教会、北陸女学校。
小松伝道所より田口牧師、沢守氏、大谷氏が参加。

◆10月高倉徳太郎「福音的基督教」刊。
☆2月10日大雪で北陸線不通。
最深部167㎝。死傷者53人。
☆6月22日電気料値下げ運動起こる。
1928 昭和3 ◆中村慶次郎牧師、小松伝道所を兼牧する。
◆4月11日「浪華中会」ミッションより44伝道地を受理。
◆5月23日日本基督教会北陸伝道会結成。
▼2月20日第一回普通選挙実施。
▼6月29日治安維持法改正公布。
▼7月3日全県警察部、特別高等課(特高)設置。
1929 昭和4 ◆宮庄道夫牧師、小松伝道所を兼牧する。
◆小立野講義所廃止。所在地 金沢市飛梅町52の2
◎4月12日日本基督教会の全国基督協議会、
賀川豊彦らの「神の国運動」実施を議決。
◆4月宮庄道夫牧師、金沢殿町伝道教会に着任。
◆4月28日中村慶治牧師、福井伝道教会に着任。
◆7月11~12日小松伝道所、
北陸伝道会修養会参加する。
於金沢教会。

◆9月5日宮庄道夫牧師、高畠氏、西氏、小松伝道を行なう。
◎11月5日賀川豊彦ら「神の国運動」を金沢で実施。
・11月29日(金)石川四郎牧師に宮川重子姉ら四名受洗。
於金沢殿町教会
☆5月白山電鉄、小松-遊泉寺間開通。
▼9月10日文部省、国体観念明徴、
国民経済充実のため「教化運動」を実施。
1930 昭和5 ◆1月6日賀川豊彦ら、神の国運動開始(’34了)。
◆3月28日 小松大火、小松教会焼失。
◆5月28日キリスト教55団体、
神社参拝強制への考慮を政府に要望。
◆10月23日小松教会会堂建築着工。竣工12月5日。
この時の代表者は沢守栄一氏である。
☆小松大火、中町と京町の間から出火。
家屋全半焼732戸、被災者2,500人。
1931 昭和6 ◆1月15日小松伝道所、献堂式を行なう。
◆9月15日北陸ミッション創立。
▼9月18日満州事変。
1932 昭和7 ◆3月10日宮庄道夫牧師、小松伝道所を辞任する。
◆7月麻生隆義牧師、小松伝道所を兼牧する。

◆7月麻生隆義牧師、金沢元町教会に着任。
◆10月22日小松大火。会員も家屋を焼失。
◆11月3日金沢市連合による小松町被災者慰問が行なわれる。
金沢殿町教会、小松伝道所も参加。
芦城小学校校庭にてシルコをふるまう。
また同夜、会堂において特別集会を行なう。38名参加。
▼3月1日満州国建国。
☆小松、再び大火。
大文字町の活動写真常設館「芦城館」から出火。
全半焼戸数1,203戸、被災者6,000人。

Ⅳ.伝道教会と「二種教会」の時代

西暦 和暦 キリスト教会 その他一般の出来事
1933 昭和8 ◆1月29日教会総会が行なわれ、
伝道教会としての設立申請を決議する。出席8名。
その他大領中日曜学校の設備の件、
教会独立五ヵ年計画実行の件が議せられる。
◆4月6日小松伝道教会建設式・伝道教会主任者任職式、
委員任職式が行なわれる。
出席21名。
★伝道教会建設式
一、午後七時委員会後開会、石川四郎先生司会席に着席。
一、聖歌一四四、聖書エペソ書第一章朗読。
熱誠溢るる祈祷を捧げられる。
一、沢守栄一氏より伝道教会建設に至る経過報告
「当地に伝道を始められてより
可なり永くなりますが伝道所を設置せられたのは
一九二〇年5月20日と記憶しております、
塩月先生主任の時分であります、
其の後田口先生が一年位居られました。
次に中村慶次先生が一年余出張伝道に御出でになりました。
後、宮庄先生の主任時代を過ぎて今に至りました。
この間十年余で進歩は遅かったのです。
しかし近年先生方の御働きもあり神の御恩寵に依り有力なる信者が加わり
小松教会の基礎が定まりましたので実に喜ばしく思います。」
(沢守栄一氏の書簡より「教会史覚書二」)
・5月4,7,9日松任町見付けで路傍伝道する。
・5月9日特別伝道講演会 講師亀谷凌雲(新庄教会)
・6月11日花の日小松と大領中合同礼拝が行なわれ
越田病院・岡本病院・武生病院を訪安する。
◆6月19日宮庄道夫牧師の告別式に参加するため
田辺教会(和歌山県)へ沢守氏を派遣する。
◆8月7~9日 北陸ミッション主催夏期修養会、
小松伝道教会の夏期修養会が行なわれる。
於安宅海岸、長沖亭。57名の参加。
この時、沢守栄一氏は北陸ミッションの理事として選出される。
なお修養会終了直後、小松伝道教会員は路傍伝道を行なっている。

◆9月熊野義孝「終末論と歴史哲学」刊。
▼3月27日日本、国際連盟脱退。
☆7月26日豪雨のため加賀一帯洪水。
床上下浸水6,509戸(内、小松町600床上浸水)
☆9月5日豪雨のため梯川の千代区堤防決壊。
1934 昭和9 ・1月20日洗礼式執行。於小松日本基督教会。
司式者石川四郎牧師(和歌山日本基督教会)。
成人受洗1名、幼児洗礼8名。
◆4月麻生隆義牧師、小松伝道所を辞任する。

◆4月麻生隆義牧師、金沢殿町教会を辞任。
◆4月20日北陸ミッション、機関誌「霊潮」創刊。
◆中山昌樹訳、カルヴァン「基督教綱要」出版。
◆5月11日群博之氏を主任者として着任する。
・8月5日第五回定期委員会において聖書研究の助けとして
「パウロ伝照」を二十部購入を議決、
また「小松教会信徒心得」を作成し全員に配布することを議決している。
☆1月県下に国防婦人会結成。
▼6月1日文部省、思想局設置。
☆7月11日手取川、梯川大氾濫。
死傷者130人、流失家屋240。住宅浸水5,003戸。
☆大聖寺で大火。
1935 昭和10 ◆1月8日石黒寅亀牧師、福井伝道教会(現福井宝永教会)に着任。
・1月18日特別伝道集会。
於小松日本基督教会。講師宮庄二作長老(堺中央教会)
・1月19日特別伝道集会。於粟津村足達工場。
講師宮庄二作長老(堺中央教会)
・2月14日特別伝道集会。
講師亀谷凌雲(新庄教会)
・3月3日第三回定期委員会において、
浪速中会に沢守栄一委員を派遣することを議決している。

◆4月3日第58回浪速中会において、
群博之氏は准允を受け伝道師となっている。
◆8月7日北陸伝道団(北陸ミッションを改称)
◎9月4日各派教会合同促進会主催修養会開催。
◆9月12日群博之伝道師病気のため辞任する。
・11月21日特別伝道集会
講師井田健司牧師「ポスター及びチラシを適当に配布し、
案内につとむる事」(「第十回委員会」より)
◆11月28日 小松伝道教会を兼牧主任者となった石黒寅亀教師、
応援のため来松する。
・12日20日クリスマス礼拝・祝会。
於粟津村足達撚糸工場
・12月22日クリスマス礼拝・祝会。
於会堂。教会と日曜学校三校(小松校・大領中・粟津校)の連合で行なう。
なお約大人40子供50名が参加。
▼2月美濃部達吉の天皇機関説、政治問題となる。
☆4月8日競馬場、羽咋から小松町へ移転。
☆6月4日小松町、復興祭を挙行。
1937 昭和12 ◎7月22日日本基督教連盟、「時局に関する宣言」、「支那事変に関する声明」発表。これは日中戦争支持の態度を公表したもの。
・9月10日 「日支事変皇軍慰問義損金」墓金開始。
・11月16~17日特別伝道集会。講師外村義郎氏。
説教題「非常時と我等の覚悟」
▼5月31日文部省、「国体の本義」を配布。
▼7月7日蘆溝橋事件勃発。日中全面戦争へ突入。
▼10月12日国民精神総動員中央連盟結成。
1938 昭和13 ・この年の聖日礼拝出席男3女2計4名(ママ)、現住陪餐会員22名。
◎7月日本基督教大会議長富田満、朝鮮を訪問。神社参拝を勧める。
▼4月1日国家総動員法公布。
1939 昭和14 ◆4月11日第62回浪速中会開催、於京都昭和会館。
非常時特別伝道が行なわれる。
・5月24日特別伝道集会。講師斎藤敏夫牧師(堺中央教会)
・この年の聖日朝拝出席男3女2計5名、現住陪餐会員20名。
◎11月11日日本基督教連盟の全国協同伝道主催、北陸大修養会実施。
・2月11日紀元節特別礼拝。出席者男3女1計4名
・3月10日聖日礼拝は植村全集を読んで守る。出席者男2女0計2名

▼4月8日宗教団体法公布。
▼7月8日国民徴用令公布。
▼12月26日創氏改名を強制。
1940 昭和15 ◆4月岩井修二牧師、金沢殿町伝道教会に着任。
◆4月2日石黒寅亀牧師、辞任のため送別会行なわれる。
・4月22日特別集会。講師河村斎美牧師(新宮教会)。
於当会堂:出席者男14女16計30名。
於粟津村足達工場:出席者不明。

◆4月25日岩井修二牧師、小松伝道所を兼牧する。
◆5月16日高畠氏小松伝道教会へ出張伝道する。
・9月特別伝道礼拝。講師麻生隆義牧師(室町教会)。
◆10月11日日本基督教会、大会において、教派合同を議決。
◎10月17日皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会開催。於青山学院。
ここで教会合同の決意を宣言。参加者約2万人。
・12月クリスマス礼拝・祝会。出席者男25女22計47。
☆1月2日大雪のため北陸線不通。死傷者41名、
最深積雪180㎝。
☆7月7日「ぜいたく品」の製造・販売禁止。
▼10月大政翼賛会創立。
▼11月大日本産業報国会創立。
☆12月1日小松市制施行。
1941 昭和16 ◎6月24日日本基督教団創立於富士見町教会プロテスタント33派が合同。
教団統理に富田満がなる。
◆8月6日日本基督教連盟、日本基督教連合会と改称
◆8月10日小松伝道教会、会堂を小松市立託児所として無償開放する。
◆8月22日日本基督教団、日本基督教報国団を組織。
◆9月20日日本基督教団石川支教区報国団が組織。
◆12月8日宣教師大挙して帰国。
・この年の旧浪速中会へ提出した統計報告より。

現住陪餐会員 男9名女6名計15名
「日曜日の礼拝」 52回 一回平均出席者5名
日曜日伝道集会 53回 一回平均出席者6名
定例祈祷会 26回 一回平均出席者4、5名
特別伝道集会 7回 一回平均出席者20名
家庭会 7回 一回平均出席者8名
工場集会 24回 一回平均出席者10名
伝道用文書配布数 月20枚

 

 ▼3月米、配給制となる。
▼5月31日大日本宗教報国会結成。
▼12月8日太平洋戦争開戦。
1942 昭和17 ◎11月24~25日日本基督教団第一回総会において部制解消議決。
◎日本基督教団、礼拝前に国民儀礼実施を通達。
1943 昭和18 ◆5月10日小松伝道教会、会堂を移転する。
所在地:小松市八日市7番地1。
当時の「移転理由書」によれば、
小松織物工業組合より土地委譲の申し出があったのをきっかけに、
地方産業発展に貢献すること及び託児をより充実し
社会に奉仕すること、代替地が伝道にふさわしいことを理由に
移転を教総会において議決している。
◎9月23日日本基督教団、全国一斉必勝祈願の祈祷会開催を通達。
☆4月1日小松飛行場建設開始。
翌年11月15日完成。
のべ20万人の勤労奉仕による。
1944 昭和19 ◆岩井修二牧師、小松伝道を辞任する。
◆3月須貝とし伝道師、小松伝道教会を兼牧する。
◆3月須貝とし伝道師、殿町教会に着任する。
◆4月15日小松幼児園を創設する。
・当時の教区事務所に提出した報告書より

会員 現住 男7女8計15名
日曜日の朝拝 25回 一回平均6名
祈祷会 40回 一回平均5名
特別集会 1回 一回平均8名
日曜学校 一回平均男0女5計5名
戦時託児所 40名

・11月20日「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る
基督教徒に送る書簡」
◎12月1日「教団」信仰問答完成。「問二 本教団の本領は、
皇国の道に則りて基督教立教の本義に基き、
国民を教化し以て皇運に報ずることである」
・クリスマス禁止、外国語使用禁止通達。

☆1月疎開令により、県内に関西の学童1万5000人到着。
小松へは1,200人到着。
☆8月11日学徒勤労令により、
県下中学3年生以上勤労奉仕。
▼9月30日大日本戦時宗教報国会結成。
1945 昭和20 ◆上河原雄吉牧師、小松伝道教会を兼牧する。
・当時の教区事務所に提出した報告書より。「信徒男6女5計11」

◎日本基督教団、「必勝祈願週間」設置。
・8月28日教団統理富田満、国体護持を指令。
※全国の教会1,184中、496教会爆撃により被災。
▼8月15日「敗戦」。
▼10月GHQ 民主化政策断行。
▼12月28日宗教団体法廃止、宗教法人令公布。
1946 昭和21 ◆岩井修二牧師、小松教会を兼牧する。
・当時の現住陪餐会員男5女1計6名。
集会統計、日曜朝拝5名・夕拝3名・祈祷会5名(一回平均)。

◆4月28日「教団」より離脱し日本基督改革派教会設立。
◎北森嘉蔵「神の痛みの神学」刊。
▼11月3日日本国憲法公布、翌年5月3日施行。
1947 昭和22 ◆8月内外協力会発足。 ※戦後のキリスト教ブーム始まる。
☆6月28日福井大地震、
大聖寺地方の死傷者494名、
全半壊家屋2,076戸。
1948 昭和23 ・三名の受洗者がある。(1月1日1名、3月28日3名)
これは昭和15年以来の受洗である。
◆12月15日聽涛誠夫牧師、小松教会(二種)に着任する。
(年表編集委員会注-資料を調査中であるため、
昭和23~48年頃までの小松教会の歩みの基本的な線を
「教会史覚書二」24,47~48,205,214,252項に従って紹介したい。
カギ括弧は「覚書二」からの引用である。)
★昭和23年~48年頃までの小松教会の歩み
この期間の小松教会の歩みは、「戦争に対する責任」を動機とした
「既成の型に囚われない実質的な長老主義教会」形成によって
規定されていると思われる。
すなわち「既成の型に囚われない」という消極的な方向と
「実質的な長老主義教会」形成という積極的、建設的な方向の二つによる
教会形成である。まず「既成の型に囚われない」という方向で
消極的に見つめられるものとしては「十字架の無い基督教」・「旧教派のしめつけ」・「当時の都市の教会」・形式主義・反知性的な風土などがある。
次に「実質的な長老主義」という積極的方向で見つめられるものは、
「純粋な基督教としての内容を持つこと」・「福音主義信条」・南加賀プレスビテリー形成の構想とでも言うべき「地方教会の未来像」・「基督教教育」などがある。
しかしこの二つの方向は「戦争に対する責任」という動機によって
強く規制されており、ここに限界も又あったと思われる。
戦争責任ついては「基督教が基督教としての内容を常に持つ事に
不十分であった為、日本の歴史に汚点を残してきたことがある。
我々は戦争を防げなかった、罪を防げなかった」という説教の一節に
鋭く表現されている。
つまり旧日本基督教会的な長老主義の否定である。
そのため誠に不幸なことに長老主義教会の形成を志向しつつも、
戦後も『旧日基』の影響下にあると思われる『教団』内
長老主義運動と距離をもたざるをえなかったのである。
その結果小松教会はやがて一時的にせよ「一単立教会」化の危険に
曝されることになるのである。
※現住陪餐21朝拝16夕拝25祈祷会8名
(以下統計は「教会史覚書二」の範囲のみ)
1949 昭和24 ・1月夕拝は伝道集会として行なわれるようになる。
また基督教講座(基督教入門講座)を洗礼準備として行なうようになる。
◆1月30日臨時教会総会において幼稚園の開設を議決する。
名称「聖愛幼稚園」とする。
幼稚園開設は幼児教育・日曜学校教育・青年教育による
一貫した基督教教育という構想の下に開設。
◆4月7日宗教法人「聖愛幼稚園」設立。
・5月「祈祷会についての心得」を出し、
教会生活の基礎を整える。
またこの月より夕拝の奨励は委員がするようになる。
この委員による奨励は、南加賀伝道の一貫として構想されたもので、
いわば信徒伝道者を育てることを目的とした(「覚書二」47頁)。
・6月より週報に「会員心得」が連載される。
・この頃、シオン文庫発足。
※現住陪餐29朝拝24夕拝26祈祷会10名
1950 昭和25 ・本年より「教団」からの補助金を辞退し、
自給教会を目指す。
◆「会派問題」で協議するが、突き詰められず。

◆6月28日旧日本基督教会関係教会全国協議会開催。
教派問題で「教団」離脱・会派・「教団」推進に分かれる。
いわゆる会派問題起である。
・9月沢守栄一氏、転居される。
またこの月「野ばら会」が始まる。
これは毎週土曜日に行なわれた中高生の聖書研究会である。
※現住陪餐39朝拝27夕拝27祈祷会10名
◆10月25日「教団」第6回総会開催。於富士見町教会。
「会派制」否決。なお教区の変更に伴い、
北陸教区は旧中部教区と合併し、現在の中部教区に含まれる。
▼7月8日GHQ、警察予備隊(自衛隊)創設。
▼9月1日「レッド・パージ」開始。
☆9月3日ジェーン台風で県下に被害、
死傷者25人、家屋全半壊2,023戸。
☆11月25日小松市立病院開院。
1951 昭和26 ・2月国立石川療養所聖書会(片山津集会)が始まる。
この集会は高桑牧師(白銀教会)が行なっていたのを引き継ぐ。
◆2月東京伝道局設立。
◆3月6日「聖愛幼稚園」学校法人とすることを議決する。
また会堂の北側四坪増築することを議決するが、
南側増築に変更する。
・大聖寺集会を試みる。於永田町柴田氏宅
・今江子供会が始まる。於今江集会所
・金曜学校が始まる。於梅田町公民館
・青年会会則が定められる。
◆5月23日「教団」より離脱し日本基督教会創立大会開催。於大森教会。
教会39、伝道所3、教職2。
・10月青年会による人形劇始まる。
※現住陪餐41朝拝26夕拝34祈祷会14名
▼9月8日サンフランシスコ講和会議で、
対日平和条約、日米安全保障条約調印。
1952 昭和27 ◆2月学校法人「聖愛幼稚園」設立される。
◆8月礼拝順序の改訂、
主の祈りと使徒信条を礼拝順序にいれる。
・御宮町子供会が開始される。
※現住陪餐41朝拝22夕拝23祈祷会11名

◆12月2日宗教法人「日本基督教団」設立。
☆7月26日小松飛行場、
米軍の補助空軍基地となる。
1953 昭和28 ・2月22日宗教法人日本基督教団小松教会設立手続完了。
これは新しい宗教法人法に基づくものである。
・5月会堂北側に約七坪の増築をする。
・この頃から「野ばら会」休会?
・10月19日金曜学校、木曜学校となる。
※現住陪餐48朝拝20夕拝28祈祷会12名
1954 昭和29 ・1月3日夕拝より「主の祈り」連続講解を行なう。
「教理のはっきりしない信仰の危険を少しづつ気付いていった」
(「覚書二135頁)
・この年より教会員同志で結婚する人が多くなる。
※現住陪餐41朝拝22夕拝32祈祷会13名

◆3月熊野義孝「教義学」刊行開始。’65年までに全三巻を刊行。
☆7月7日加賀三湖干拓事業の起工式。
1955 昭和30 ・1月?山代集会が始まる。於国立山中病院分院
◆4月京阪神教友会設立。
◆9月第一日曜日、新讃美歌を使い始める。
※現住陪餐42朝拝27夕拝29祈祷会13名
◆10月日本基督教団信仰告白制定。
1956 昭和31 ◆1月口語訳聖書を使い始める。
・「残念ながら早くも脱落する人が出来てきた。
教会生活の基本は信仰告白と福音主義信条にあるが、
そこまで行けないで離れていく人が生まれるのは
形成途上の教会としても残念」「覚書二」176頁。
※現住陪餐47朝拝24夕拝28祈祷会11名
1957 昭和32 ◆4月今村博至氏献身する。
※現住陪餐53朝拝30夕拝18祈祷会14名
☆5月31日小松米軍基地閉鎖。
☆12月23日NHK金沢放送局、
日本海側で初のテレビ放送。
※戦後のキリスト教ブーム終わる。
1958 昭和33 ◆8月16日宣教百年記念の基督教教育世界大会に参加する。
当教会より32名参加。
◆11月委員会において
「宣教」百年記念行事として以下のことを申し合わせる。
一、加賀江沼地方への新伝道地開拓。
一、教会小史の編纂。
一、会堂移転計画を進める。
一、文書伝道の充実をはかる。
※現住陪餐63朝拝33夕拝32祈祷会13名
☆2月9日小松ジェット機基地反対市民大会開催。
☆2月19日小松飛行場、米軍より返還。
1959 昭和34 ◆1月28日全員協議会において、
プロテスタント基督教宣教百年記念の記念事業として、
会堂建築をことを申し合わせる。
・粟津家庭会が行なわれる。於高岡氏宅
※現住陪餐49朝拝33夕拝25祈祷会9名
▼3月「安保改定阻止」反対運動起こる。
☆8月14日台風7号により梯川氾濫。
1960 昭和35 ・北陸学院主催「メサイア」公演。於中央公会堂
※現住陪餐50朝拝28夕拝16祈祷会6名
▼1月日米新安全保障条約・行政協定調印。
1961 昭和36 ◆9月18日臨時教会総会において会堂移転を議決する。
・11月粟津聖書研究会が始まる。
・11月30日大聖寺集会再会される。於渡辺氏宅。
これは11年ぶりの集会である。
※現住陪餐42朝拝23夕拝15祈祷会7名
☆6月11日小松基地航空自衛隊開庁式挙行。
これは日米行政協定に基づくもの。
1962 昭和37 ・5月片山津集会が再開される。
※現住陪餐42朝拝23夕拝15祈祷会7名
1963 昭和38 ◆6月13日小松教会、新会堂建築着手する。
所在地現小松市本町3-16
◆11月3日献堂式を行なう。
※現住陪餐44朝拝20夕拝12祈祷会7名
☆1月豪雪で全県大被害。
最深積雪181㎝。死傷者175名。
1966 昭和41 ☆5月28日加賀三湖干拓事業完了。
1967 昭和42 ◆2月2日臨時教会総会において湯谷忠興氏を担任教師として
招聘することを議決する。
▼全国各地で大学紛争起こる。
1968 昭和43 ◆2月4日~7日第2回連合長老修養会、
東京伝道局第14回宣教協議会開催。

◆4月6日湯谷忠興伝道師、担任教師として着任する。
・聽涛誠夫牧師、「全国連合長老会結成についての提議」の
発起人の一人になる。

◆5月25日連合長老会結成準備会、
「全国連合長老会結成についての提議」発表。
この提議は重要ですので年表の終わりに全文を掲載しておきます。

◆10月第15回教団総会において、「教団機構改革」可決、
「万博問題」起こる。
1969 昭和44 ◆1月26日教団、教会制度研究協議会設置。
◆4月万博キリスト教会館起工式。
◆5月5日東部連合長老会設立
◆10月10日西部連合長老会設立。
◆11月「教団」紛争起こる。
1970 昭和45 ◆1月30日東海連合長老会結成。
◆3月11日東京神学大学に機動隊導入。
教団教師検定試験実施できず。
◆9月27日臨時教会総会において
湯谷伝道師の辞任の申し出を承認する。

◆この頃から後任牧師招聘問題が起こる。
◆10月10日北陸教会問題研究会発足。
▼3月14日万国博覧会開催。於大阪府吹田市。
☆6月11日梯川汚染、
尾小屋鉱山鉱毒問題となる。
1973 昭和48 ◆3月21日臨時教会総会において聽涛牧師辞任の件を承認する。
また津布楽幸八教師招聘の件、
主任担任教師の代務者として
大隅啓三牧師(金沢南部教会)を招聘すること、
さらに聽涛引退教師を名誉牧師とすることを議決する。
1976 昭和51 ◆5月5日全国連合長老会設立。於武蔵野教会。
議員総数73名中65名出席、36教会加盟。
▼2月ロッキード事件起こる。
☆10月26日小松基地にファントム配備。
1977 昭和52 ◆3月6日津布楽幸八伝道師の辞任の件を承認する。
また大隅啓三牧師を主任担任教師の代務者として
招聘することを議決する。

◆4月15日内藤留幸牧師(金沢教会)を招聘し、兼牧を依頼する。
1980 昭和55 ◆3月31日臨時教会総会において増田志郎伝道師を主任担任教師として
招聘することを議決する。
・4月6日増田志郎伝道師、小松教会に着任する。
▼大阪教区総会10年ぶりに開催。
1982 昭和57 ◆4月18日会堂建築のために意見を交換することを開始する。

Ⅴ 一種教会の時代

西暦 和暦 キリスト教会 その他一般の出来事
1983 昭和58 ◆3月小松教会、東部連合長老会に加盟し、魚津教会・富山総曲輪教会・高岡教会と東部連合長老会北陸支部を結成することを議決する。
◆4月定期教会総会において「名誉牧師」解任を議決する。
◆7月17日東部連合長老会北陸支部会結成。
これにより北陸教会問題研究会は、
中高生キャンプを行なう北陸伝道会と改称。

◆9月臨時総会において「名誉牧師」解任を取り消すことを議決する。

◆10月23日小松教会、第一種教会建設式を行なう。
◆7月17日東部連合長老会北陸支部会結成。
これにより北陸教会問題研究会は、
中高生キャンプを行なう北陸伝道会と改称。
1985 昭和60 ◆4月牧野潔長老が「北陸支部」代表として
「改革長老教会協議会」参加することを承認する。

◆4月29日第一回日本基督教団改革長老教会協議会開催。於鎌倉雪ノ下教会
◆4月29日第一回日本基督教団改革長老教会協議会開催。
於鎌倉雪ノ下教会
1987 昭和62 ◆3月増田志郎牧師辞任する。
◆4月5日小野寺泉伝道師、小松教会に着任する。
1988 昭和63 ◆1月17日第一回北陸改革長老教会協議会開催。於金沢教会 ◆1月17日第一回北陸改革長老教会協議会開催。
於金沢教会
1989 昭和64 ◆10月10日小松教会、魚津教会・富山鹿島町教会・高岡教会と北陸連合長老会を結成する。
1996 平成8 ◆11月10日 臨時総会 議長:藤掛牧師(北陸連長議長)書記:松井長老「小野寺牧師辞任の件」 可決
1997 平成9 ◆4月6日 堀岡啓信伝道師 着任後初めて講壇に立つ。聖餐は柿沼先生(北陸学院)が執行。
◆7月13日 長い間続いた「日曜夕拝」(家庭集会)が、最後となる。 於:高松夫妻宅
◆11月9臨時総会  議長:堀岡牧師  書記:松井長老 議題「小松教会所有の土地と聖愛幼稚園所有の土地との等価交換の件」可決  参加者:22名
1998 平成10 ◆10月4日 小松教会の「ホームページ」を開設
 1999 平成11 ◆11月23日 小松教会で石川地区信徒大会が行われる。(午前10:30~13:30)講師:松永 希久夫先生(東神大)参加者:約120名  教区臨時常置委員会(14:00)
2000 平成12 ◆3月25日 学童クラブ「ぶどうの木」を教会集会室を改装して行うことを長老会で決定。担当:長戸長老・牧野長老・田畑姉・村上姉
2001 平成13 ◆4月2日 学童クラブ「ぶどうの木」開始
2002 平成14 ◆2月8日 聖愛幼稚園新園舎落成式
2003 平成15 ◆聖書通読運動を開始
2004 平成16 ◆9月1日 第一水曜日に礼拝を開始(開会10時15分)
◆9月5日 臨時総会 議長:牧野長老 書記:松井長老「堀岡牧師の年度末辞任」を承認する。出席:30名
 
2005 平成17 ◆11月27日 臨時教会総会 議長:宍戸牧師「松島保真神学生招聘の件」可決 出席者27名

4.全国連合長老会結成についての提議

私共は、去る二月四日より七日まで、伊豆長岡において、
旧教派とは無関係に教団において長老主義の伝統を重んずる有志による会合を開催いたしました。
この種の、会合はすでに昭和二十三年以来つづけられ、
教団における私共の教会的責任についての申し合わせを重ねてまいりました。
それは、「日本基督教団にあって、聖書に基き、基本信条並びに歴史的諸信条によって
告白されてきた信仰の伝統の上に、公同教会を形成する。
教会制度としては長老主義を最も適当であると信じてその実現のために協力する。」という骨子を
内容とするものでありました。
教団の教憲には、合同に参加した諸器用かいについては
「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ」と銘記されてありますが、
この点で、私共は、当初より長老主義の伝統を重んずる立場を変わることなくとって来たものであります。
日本における長老主義の伝統は、
日本基督公会、一致教会を通じて日本基督教会に継承されてまいりました。
これが、教団結成によって一時崩れ、今日は教団外にこの立場の教会が再形成され、
教団内には旧教派とは無関係に私共のように、この伝統を忠実に守らんとする多くの教会が
現存するのが、事実であります。
戦時中の部制を条件とした教団の結成にも問題はあったが、
これは実質的には教派連合にすぎませんでした。
むしろ、教団が戦後にその崩壊を恐れて、破棄された部制を回復し得なかった処理の誤りが、
後に複雑な問題を招く因となったことは否定できません。
その結果、教団は異なる伝統をもつ多数の教会を一気に統一組織にまとめ、
更に信仰告白の制定を急ぐ無理を重ねざるを得ませんでした。
これが教団にとって大きな成功であったとの見方には根本的に異論があるのですが、
この時とられた教団の組織が、監督主義でも会衆主義でもなく、
最も長老主義に近いものであったことは、記憶しなければなりません。
これは、この外に公同教会的な体制が考え得られぬことが確認された一事例となったからであります。
その後、今日に至まで教団がその組織を応しい内容をもって充たそうとして
払って来た労苦を評価することにおいては、私共も同じ教団にある者として、
決して吝かではないつもりであります。
しかし、相異なる複雑な底流が錯綜する教団の現実のうちに、にわかに一定の教会観を確立し、
信仰の一致と連帯を樹立しようとしても、それは望みがたいものであると言わねばなりません。
しかし、たとえ遅々としてでも、教団か真の教会形成に近づくことは、
私共の願いでありました。
しかるに、最近の教団の実情をみるに、私共の期待とは逆に、各個教会の孤立化に伴って、
信仰告白を空文化し、聖礼典を軽視し、礼拝と宣教を世俗化する教会が続出する傾向が生じております。
これを放任するならば、教団の実質的崩壊の危険がさけ得られないと考えるのは、
果たして私共だけの杞憂でありましょうか。
私共は、教団において目下検討されている機構改革の如きものに対する努力が、無用であるとは思いません。
しかし、これとは別に教団の教会的実質を形成する努力が、一そう根本的な急務であると考えるのであります。
ここに長老主義の伝統に基づき、聖書と主キリストに対する告白の上に立って、
教理を擁護し、礼拝と宣教との姿勢を正し、会員の訓練に努むる教会の連帯が、
教団の教会形成に対して、私共の分担すべき重要な責任であるとの結論に達するに至りました。
この点から、この度会合した五十数個の教会の教職と
長老約一二〇名の者たちは、次の申し合わせを行なったのであります。
『一九六八年二月四日より七日まで、伊豆長岡において、開かれた連合長老修養会と宣教協議義会において、
これに出席した者たちは左の申し合わせに達した。
我々は、宗教改革者たち、とりわけカルヴィンの教えた教会の伝統に基づいて、教会を形成する。
この教会の伝統は、プロテスタント教会の共同の遺産である。
我々は、公同の教会と目指しつつ、教団にあって教会の形成に励む。
この趣旨に賛同する諸教会を全国に求めて、地域的に連合長老会を組織する。
このために、連合長老会準備委員会を設置する。
一九六八年二月七日連合長老修養会・宣教協議会』